私は今、広島長崎の証言集の朗読劇「この子たちの夏」の旅公演で北海道にいます。
昨晩公演した北見から今晩公演する砂川まで、およそ4時間のバス移動。
北海道、空が広い、大地が遠くまで見渡せる。ロードムービーのように延々と続く道をひた走る車窓を眺めつつ「子どもの話を聴くときは」を巡る思いを綴ってみようと思います。
コロナ禍に出来る事、何があるだろう?
ユッキーが先に書かれたように、先日リモートで三人で話し合いました。
停滞しているサイトを活性化するように絵本や児童文学書の紹介でブログ更新するのは?
お二人は「絵本は古くならないから昔のでもいいのよぉ」と仰るけれど…
私には無理無理。
2015年に郡山で開いたこの会のイベントでは子育て以来数十年振りの読み聞かせでした。
紙芝居は保育園でバイトしていた二十歳の頃「泣いた赤鬼」を読んで自分が号泣してしまって以来。
容赦のない子供観客のツッコミに、あたふたアドリブで対応する私はまるで素人。
という訳で本関連はお二人にお任せして、今公演している作品について書いてみます。
1985年の初演以来、私たちの代が引き継いだのが2011年。今年でちょうど10年になります。
最初の本読みでは構成演出の木村光一先生の実体験としての当時の食べ物、父、母の建前と本音、死臭の記憶、今では使われない言葉、もう歌われない歌。そしてアクセントもかなり事細かに直されました。同じ日本語なのに、まだ戦後の匂いの残っていた昭和生まれなのに、当時とこんなに違うの!と驚くばかり。
ズボンは「ズ」ではなく「ボ」の音を強調。「前にならえ」「ま」ではなく「えに」が強い。
私たちが当時をまがりなりにも再現出来る最後の世代かもしれないと思います。
「この子たちの夏」には当時の短歌、俳句が含まれ、その部分を旅公演では地元の高校生達に詠んで貰っています。真っ暗な舞台にスタンバイ、どれ程ドキドキしている事か。でもどの地方でもみんなキラキラしていて、当時の哀れに被災した10代を表現してくれます。体を通して感じて、声に出して人に伝えた悲惨な事実は、きっと彼女達の中にしっかりと遺されるだろうと頼もしく思っています。
このコロナ禍、舞台に立てる事、今だからこそ一層伝えたい作品に携わっている事、幸福だと思います。
あらためて思うのは、私にとって人と直に触れ合う事が生業の全てだという事。
リモートでは生きていけません。
今そばにいる人を大切に愛しんで、皆様お過ごし下さいます様。
コメント
お仕事を通じて幸福だと思えることは、羨ましいくらいの宝物だと思います!